1.災い
 
 
 現在のわたしの境遇――
 
それは、語るも涙、聞くも涙のブルーいやブラックか?まっ、何色でもいいんだ
 
けど、……ピンクじゃないことだけは確かだ。
 
こんなダークな生活を強いられるようになった訳は……聞いて驚くなかれ!
 
いや、誰も驚かないだろう、今のご時勢なら。
 
それこそ日常のどこかで、いつ誰の身に起きてもおかしくない、ありきたりの出
 
来事で、たとえ、ニュースに取り上げられたとしても、わたしを知らない人にとっ
 
ては記憶の片隅にも残らず、関心を持たれることもなく、そのまま通り過ぎて
 
行く事件であったに違いない。
 
実際わたしも……自分が当事者になるまではそうだった。
 
だが、自分に起きたとなれば話は別だ!
 
記憶の片隅どころか、前頭葉、海馬、それこそ中枢神経系の隅々に怒りの指
 
令を刻み込んでいる。
 
今、思い返しても、実に、実に、腹立たしい限りの“こんこんちきしょう”なのだ。
 
 
   *** ***
 
 
 ―――あれは、10日前のこと――
 
大学の帰り路、もう目の前に自分のアパートが見えて来たと思った瞬間、肩に
 
提げたショルダーバッグを思いっ切り引っ張られ、その拍子に続け様、手を着
 
く間もなく横転した。
 
何の防御もできないままアスファルトの地面に突撃したせいで、かなりの激痛
 
があり、“ひったくり!”と認識したけど、思うように体が動かなかった。
 
 
すぐさま、大声で「このどろぼうー!返せ、わたしのバッグ!!」と怒鳴ったけ
 
れど、周りに人もいなかったせいで空しく響いただけだった。
 
何故なら、犯人は、バイクに乗って既に逃走の体勢で、落雷の様なエンジンを
 
轟かせる同時に、黒い排煙を撒き散らし猛然と走り去った後だったからだ。
 
後に残されたわたしは、体の痛みよりも、憤りの方がすごくて、普通なら10分
 
はかかる所をそれこそ底力と気力のみで5分で交番へと駆け込んだ。
 
バッグの中身は、携帯、学生証、財布……その中には貴重な現金が三十万
 
ほど入っていた。
 
いつもなら大金など持ち歩かないのだけど、その日は丁度、両親からの仕送り
 
があったので、別の口座へ入金する為に下ろしたところだったのだ。
 
これから、生活するにおいて当座必要な現金、全てを奪われたわたしに、おま
 
わりさんが……「犯人が捕まったとしても現金が戻ってくるのは期待しない方が
 
いいですよ!!」そう、宣わったのだ。
 
勿論、お金が返ってくる確立が少ないことはわかっている。
 
でも、人間って夢や希望が無かったら生きては行けないって、銀さんだったか
 
シャンクスだったか? 
 
いや、誰でもいいけど、名言してたじゃないか!!
 
それなのに――今、『 あんたはわたしに死ねって言いたいのか!?』
 
憤りがひったくり犯からおまわりさんへと拡大して、憤懣たる思いで帰路に着い
 
たのだった。
 
 
   *** ***
 
 
 “有り金、全部失う”という災難が、この身に降りかってから始まった苦行生
 
活……即ち、極貧生活に突入して、早10日が経った。
 
光陰矢の如しというが、寧ろ毎日、時間だけがのろのろと過ぎて行き、出るの
 
は溜息ばかりで、テンション下がりっ放しの毎日だ。
 
それに、世間一般では、“一難去ってまた一難”とよく言われているが、わたし
 
の場合は違った。
 
 
  ――― 一難去らずにまた一難 ―――
 
ひったくりに遭い、全財産が盗まれ、それで転倒したのが運のつき…次は打撲
 
に肋骨骨折の全治6ヶ月と診断されたのだった。
 
これは後日、病院に行った時にわかったのだが、肋骨を3本骨折していたの
 
に、あまりにも怒り心頭だったので、3日間も気付かずにいたのだ。
 
それに、ここ数日の熱帯夜、連日連夜眠れないのが堪える。
 
早く眠らなければという焦燥感ばかりが募り、明け方近くにほんの数時間、うと
 
うととしているだけで、起きた時には疲労感満載でくたくただ。
 
おまけに、買い置きしていたラーメンも底をついたので、昨日の朝から何も口
 
にしていない、あっ、水は飲んでるし、塩も嘗めたが、それだけ!
 
こんな非常時だけど、家族や友人に頼るという選択肢はない。
 
何故なら、医者をしている両親は二人とも赤十字の医療チームに派遣されて、
 
確かインドネシアからハイチへ飛んだはずだ。
 
しょっちゅう移動しているのでよくわからないが、今度会うのはたぶん、正月くら
 
いだろうと思う。
 
遠くの親戚より近くの他人とも言うが、一人っ子のわたしは、友人を頼るしか術
 
はない。
 
でも、お金を借りるにしても食事を奢って貰うにしても面倒くさくて、なかなか実
 
行できずにいる。
 
何馬鹿なことを言ってると思うかもしれないけど、わたしにとっては真面目な話
 
であり、間違いない事実だ。
 
……何が面倒だって人とコミュニケーションを取ること程、面倒なことって他に
 
無いのでは?……一々、状況を説明して、質問に答えて、さらに顔色を窺いタ
 
イミングを見計らっての頼みごとをしなければならないなんて、考えただけでも
 
気が滅入る。
 
 
   *** ***
 
 
 ここで話が変わるが、わたしにの中には正体不明のわたしとは別の存在が
 
いる。
 
その存在とは、一つの体を共有してはいるが、性格も思考回路も全く違う、ぶ
 
っきら棒の心配性で、説教の多い理屈屋で、何故かわたしが知らないことまで
 
よく知っているという摩訶不思議な人物だ。
 
突然憑依した、若しくは湧いて出て来た怪しい霊の類ではなく、生まれた当初
 
からずっと一緒にいたらしい。
 
わたしの中のもうひとりについては、……相棒でありパートナー、半身、分身、
 
兄弟、姉妹、友、師匠などといろんな形容ができるが、わたしが一番しっくりく
る表現は、漫才コンビのような片割れを指す、“相方(あいかた)”という言い方だ。
 
 
 ―――初めて相方(あいかた)と喋ったのは、母親に叱られた3歳の時だ。
 
……母親から聞いた話によるとわたしは生後7ヶ月で歩き、1歳で『 口から先
 
に生んだ覚えはないのに…!』と呆れられる程、のべつ幕無しの引切り無しに
 
喋っていたらしい。
 
そして、わたしが三つになったある日、絶え間なく浴びせられる質問、それも目
 
を覚ましている間は、絶対にお喋りが止むことはなく、いい加減うんざりした母
 
が、“沈黙の指令”を出したのだ。
 
今もその時のことはしっかりと記憶に残っている……。
 
わたしは母親の命じた通り、黙ったものの、声を出さなかっただけで……実は
 
心の中でずっと喋り続けていた。
 
その時のわたしの“独り言”に言葉を返して来たのが、相方(あいかた)だった。
 
突然の闖入者に驚くこともなく、独り言の延長だと深く気にもせず、それよりも
 
思わぬところでコミュニケーションが成立したのを喜び、ただただ、“心の会話”
 
が楽しくてしかたなかった。
 
それからは、“心の会話”で十分満足するようになったわたしは、反対にどんど
 
ん他人と話すのが億劫になって行き、いつの間にか殆ど喋らない大人へと成
 
長たのだ。
 
周囲もわたしを、無口な人だとか感情を表に出さない冷静沈着な人などと思っ
 
ているらしいが、実は心の内側では誰よりも喜怒哀楽が激しいし、その他ボケ
 
から突っ込みまでバラエティに富んだ面白可笑しい会話をこなしている。
 
相方(あいかた)と形容するのが相応しいと思うのもこういう理由(わけ)だ。
 
 
とにかく、その魂の片割れとも言うべき相方が居るお蔭で、どんな時でも、比較
 
的、落ち着いていられる。
 
   
 

    
 

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