42.トイレ事情とタリシャンの鼻
 
 
 寝室横の扉を開けて中へ入ると、浴室がある方とは反対の右側にも
 
う一つ扉があり、そこがトイレになっている。
 
大きさは日本家庭にある平均的なトイレに比べると3倍以上の広さが
 
あり、浴室同様、床と壁がふかふかの苔で覆われている為、ここも植
 
物の緑一色だ。
 
入ってすぐに目につくのは、正面の壁から突き出た筒状の柱体、解り
 
やすく言えば緑色の煙突が等間隔に並んでおり、突出した位置も右か
 
ら左へ行くに従い高いものから低いものへ、筒の大きさも数段階に分
 
かれており、近くで覗いて見れば内側もベルベッドのような柔らかな
 
苔で覆われているのがわかる。
 
最初見た時はその煙突に口を付けて、口の中をゆすぐか、それとも手
 
でも洗うのかと思ったが、実行しないで良かった……後で、あの煙突
 
は、男性が小をする為のものだとタリシャンに聞いた時に、心の底か
 
ら『 セーフ!!』と叫んで胸を撫でおろしたのだった。
 
だから、煙突には全く用の無いというか…そこに差し込む機能を持っ
 
ていないので、右隅にある大便用兼女性用のトイレの方に向かった。
 
 
それは、ロダンの「考える人」が座っているような椅子とは呼べない
 
歪な形をした切り株が床からにょっきり根を生やし、丁度座る部分に
 
穴が開いているので洋式便座だとわかるのだが、トイレの底がどうな
 
っているのか、中を覗いても真っ暗で、深い穴があること以外何も見
 
えない。
 
森羅は穴に向かって口の中のどろどろジュースを吐き出した後、つい
 
でに用も足しておこうと真っ赤な蛇柄トランクスを下ろし緑の切り株
 
椅子に腰掛けた。
 
たぶん、この国の成人男性向けに作られたものだろう……下手すると
 
お尻が穴に落ちそうになるし、結構な高さがあるので足が床に届かず
 
神経を使うし、座り心地も良くない。
 
でも、一つだけいいのはウォシュレットで洗う時のようにお尻を前後
 
にゆすったり、トイレットペーパーで拭いたりしなくて済むことだ。
 
しばらく座っていると、穴の中にどんな植物があるのかは見えないの
 
でわからないが、お風呂と同じ原理が働いて、きれいにしてくれるの
 
がわかる。
 
いつも清潔で、トイレの不快な臭いも無いのが長所だと言える……等
 
と考えていたら、外からタリシャンの声がした。
 
 
「シンラさま、大丈夫ですか?」
 
「うん、全然問題ないよ! それより国王陛下はどうしてる?」
 
「はい、国王陛下におかれましてはシンラさまが席を外されてすぐに、
 
執務があるからと仰ってセイントさまと共に主塔へ戻られました。 フ
 
ラン副神官さまもジール神官長さまからの呼び出しを受けて、急遽、
 
神殿の方へ向かわれた所です。」
 
「そうなのか、いやー、よかった!」
 
すっきりとした表情でトイレから出て来た森羅は、タリシャンの顔が
 
どことなく曇り気味で、元気がないように思えた。
 
「タリシャン、どうしたんだ? 何かあった?」
 
「あの……シンラさま、僕は……、」
 
タリシャンは森羅を見つめたあと、青い瞳を伏せ言葉を探すようにし
 
ている。
 
「何? 何か言いにくいことなのか? なら、あっちに座ってゆっくり
 
話を聴こうか?」
 
「いえ、向こうは駄目です!」
 
「どうして?」
 
「それは……浴室と手洗い以外の場所は、全部筒抜けなので、」
 
「筒抜け?! それって、盗聴されているってことか?」
 
「はい…僕も全部はわかりませんが、浴室と手洗いには既に複雑で大
 
きな魔法が構築されていますので、そこへ違う魔法を組み込もうとす
 
れば、ここの機能を破壊してしまう恐れがあります。 だからこの場所
 
は安全だと思いますが、居間と寝室に関しては、盗聴魔法を仕掛ける
 
のに支障がないことは確かですから、筒抜けだと…。 それに、緑香の
 
間は固い護りを敷き、聖者さまを守っていると聞きましたが、反対に
 
シンラさまに悪意や敵意を持っていない限りは進入し易いと……たぶ
 
ん、向こうで話したことは全て国王陛下のお耳に入っているかと思わ
 
れます。」
 
「そうか…、道理でジールやフランに話したこととか、何でも知って
 
いたんだ。 何か、囚人になった気分だな、でも、タリシャン、どうし
 
て教えてくれたんだ?」
 
「はい、僕はシンラさまに従者にして頂いた時から、自分が忠誠を誓
 
うのはシンラさま唯お一人と心に決めておりましたから…、」
 
「いや、タリシャンの気持ちは嬉しいんだけど……わたしには、そん
 
な資格がないから……、軽く、友達程度に思ってくれた方が……、」
 
「シンラさま、僕の父は魚人で母は虎人なのはご存知ですよね?」
 
「うん…魚人と虎人の間に生まれたのは聞いたけど、お父さんとお母
 
さんとで、どっちがどうかまでは知らなかったぞ。」
 
「それで、僕は母である虎人の嗅覚を少しですけど受け継いでおりま
 
すので、普通の人間にはわからないことでも気付いてしまうので…
 
…。」
 
「そうなんだ。でも、いい匂いじゃないものは臭くて敵わないんじゃ
 
ないのか? 例えば、わたしがさっき飲んだ、どろどろジュースのカメ
 
ムシの臭いなんか……今でもすごく臭うだろう?」
 
「はい、でもそれとは違う…別の匂いもわかるんです……、」
 
「別の匂い? 何の臭いだー?」
 
「……シンラさまからは、女の匂いがします……」
 
淡々と事実だけを伝えているタリシャンの顔からは、嫌悪も好奇心も
 
なく、ただ静かに森羅を見つめていた。
 
 
(おい、どうする? バレてるみたいだ。)
 
〔――ん、彼には誤魔化しようがないな、ペラペラと喋る奴でもなさ
 
そうだし、自分の素性を話してもいいんじゃないか…?〕
 
 
   *** ***
 
 
森羅は自分が少年でも聖者でもないこと、それから実はタリシャン
 
と同じ二十歳で、間違って召喚されたこと等を話し、そして自分の元
 
居た世界に帰る方法を見つけたいこと、万が一帰れないとしても、結
 
婚云々は無理だから此処ではない別のどこかへ逃げ出す計画を話した。
 
タリシャンが唯一驚いたのは、森羅が二十歳の同い年だという点だけ
 
で、後は表情を変えることなく静かに頷き、話しに聴き入っていた。
 
 
「タリシャン、わたしの従者じゃなくて、もっと他の誰かに仕えたい
 
とか…何か望みがあるなら言ってくれないか? 聖者としてここに居
 
る間に、何とか君の希望が叶うように国王やジールにでも頼んでみる
 
から、」
 
「僕は、シンラさまの従者にして頂いた時から貴方に従うのみです。
 
貴方のお力になれるように僕も精一杯頑張りますから! それに……
 
僕の唯一の望みは、シンラさま、貴方のお傍にずっと居ることです。
 
だから……、僕を追い払わないで下さい、お願いします……」
 
「追い払うだなんて……いいのか? わたしが聖者じゃなくても?」
 
「僕にとったらシンラさまは紛れも無く聖者です!」
 
 
あまりにも真剣な眼差しを向けてくるタリシャンが眩しくて、森羅は
 
照れくさくなってタリシャンの青い髪を両手でくしゃくしゃにした後、
 
「じゃ、そう言う事だから、わたしの目下の目標は召喚と帰還につい
 
ての情報を集めること、それから逃亡ルート、…ルートと言う単語が
 
通じないか、えーと…要するに逃げる道筋と潜伏場所、身を隠す場所
 
を何処にするか、計画を練ることだ。 あっ、お金…、逃亡資金の調達
 
は、もう考えているから、タリシャンは潜伏場所をどこにするか、い
 
い場所を見つけといてくれるか?」
 
「はい、承知しました。 あ、あの…国王陛下のことなんですが……」
 
「んー? ダーナがどうした?」
 
「もしかすると国王陛下は、シンラさまの性別を既にご存知かもしれ
 
ません。晩餐の時にシンラさまの御髪を何本か抜き取られていました
 
から……、」
 
 
森羅は、不審げに自分の髪に手をやり、晩餐の様子を思い出そうとし
 
たが、ハイジの白パンと珍鳥ガウルのことしか覚えていなかった。
 
「全く気付かなかったし、そんな機会があったのかどうかも記憶に無
 
いな、でもその髪と性別がどう関係するんだ?」
 
「 国王陛下は、大変強い霊力をお持ちで魔力に関しても、ジール神官
 
長と並ぶ程の腕を持っておられる話を聞いたことがあります。《 シュ
 
ウダシャール国の黒の御使い 》と称される国王ですから、髪に何らか
 
の魔力を掛ければシンラさまの本来の御姿は心眼できるのではないで
 
しょうか?」
 
 
(やっぱ、ただの黒髭女王じゃ無かったんだな…。)
 
〔――女王とは思えないって、さっき言ってたんじゃないのか?〕
 
(えっ? あ、そうそう、もひゃもひゃ胸毛にでかくて硬いもっこり
 
君!!)
 
〔――君付(くんづ)けで言うなよ!! きみが悪い!〕
 
(君(くん)のきみと気味が悪いのきみ……駄洒落か?冴えてるじゃん!)
 
〔――洒落でも何でも無い!〕
 
(何か、ご機嫌斜めだな?)
 
〔――僕のことはほっといてくれ!! それより、逃亡資金って聖者の
 
為に用意された国費のことか?〕
 
(うん、そうだよ。)
 
〔――毎月、百二十万ベロンだったな、それがいつ貰えるのか…それ
 
と魔法や魔術、それからイリオークについても調べたいから、そうい
 
った本が読める所へ出入り出来るよう…きっと図書室みたいな場所が
 
あるはずだからジールかフランにでも聞いておくこと、この二つを忘
 
れないでくれ!〕
 
(Aye aye, sir !)
 



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