54.謝罪
 
 
 凍結のルーン、――体の動きを止められても意識が無い訳ではなく、
 
瞬間的に一時停止した状態で拘束されただけだ。
 
目を開けたまま国王の魔術を受けたせいで、ジール、フラン、タリシャン、
 
そしてエルロスとヴァローズも、国王ダーナとシンラの行動の全てが見え
 
ていた。
 
その中で、国王ダーナの魔術に対抗できる力を持っていたのは、頭に
 
黒い髭を載せたままのジールだけだ。
 
 
彼は、思いもよらぬ時と場所で遣われた、国王の凍結魔術を避けられ
 
ず、森羅が国王に翻弄される姿を目にし焦れる気持ちを静めるように、
 
体の自由を奪われたことを認識しつつ一旦意識の底に己の念を沈め、
 
更に凍結の為に折り込まれた術を凌ぐ、解除と防御の魔術を織り交ぜた
 
ものを自分の体全体に覆わせ、心の中で詠唱を繰り返した。
 
それから、瞬きを数回繰り返し体の自由を取り戻したのを確認すると、
 
国王と森羅の元へ足を進めたのだった。
 
 
 
「国王陛下、もうそれ位で……呼吸(いき)ができないシンラがこのまま死んでも
 
よいのですか、ダーナ、……ダーナ・レイル・イシュルク・スタス・ハー
 
ミタル陛下!」
 
 
森羅の顔は真っ赤で、ダーナが口づけを止め拘束を緩めた途端、床に
 
崩れ落ち、咳き込みながら何度も大きく息を吸って肩を震わせていた。
 
 
羽交い絞めされて貪るような口づけをされるがままの森羅…扇情的な
 
光景を見せ付けられたようで、ジールの中でも胸を掻き毟りたいような
 
理由のわからない感情の嵐が吹き荒れていた。
 
 
――――国王陛下とシンラの間にいったい何があったのだろうか?
 
口は悪いが国王陛下に対する礼儀はわきまえたシンラが、国王陛下に
 
手を上げる……余ほどのことだろう、でも…やはり相手は国王だ…シンラ
 
が聖者でなかったら、エルロスに斬り捨てられても文句は言えない。
 
国王も様子がおかしい…いくら腹を立ててもあそこまでするのは……い
 
つも静かな微笑みを湛え滅多に感情を見せない方なのに…それも少年
 
相手に口づけの懲らしめとは……わたしには、国王陛下のお気持ちが
 
わからない…。
 
 
 
「国王陛下、僭越ながら申し上げます。 シンラがまだ小さい子どもなの
 
をお忘れではございませんか? 確かに、貴方に手を上げるなど首を
 
刎ねられても仕方ありませんが、……シンラ、シンラさまは聖者です。
 
この国の未来を救って下さる御方、それも少年に口づけの罰はやり
 
過ぎです。」
 
 
国王ダーナは、森羅を拘束していた腕を緩めた後、髭の無い自分を
 
隠すかのように、ジールから顔を背けていた。
 
森羅はそんな国王の頑なな背中を見据え、緊張を孕んだ空気を追いやろ
 
うとわざと大きな咳払いをした。
 
「ジ、ジール…、わたしは平気だから…喧嘩するつもりは無かったんだけ
 
ど……ダーナを叩いたのは事実だし……、」
 
「では、……そういうことでしたら、シンラ、国王陛下に謝罪して下さい。」
 
「……うぅー、……んー、…くっ、」
 
 
―――くそー! 謝罪ならさっき…2回も言ったのに、またか!?
 
わたしだけが悪いなんて、勿論、爪の先ほども、いや、睫毛の先ほども、
 
全く、これっぽっちも思わない!!
 
ジールには、ああ言ったけど、叩いたことも不可抗力だから、謝りたくも
 
ない!
 
……うぅー、気分も最悪だし…仕方ないか…。
 
 
 
早く騒動を終わらせたい一心の森羅は、溜息を飲み込むとNGを出さな
 
いよう気をつけながら、重々しく聞こえるように少し小さめの声で言った。 
 
「ジール、わかった、では、わたしの住んでいた世界の言葉で、最高の敬
 
意を込めて謝罪する……一回しか言わないからよく聞けよ、いや、聞いて
 
下さい、ダーナ、傷つけるつもりは無かった、アイムソーリー、ヒゲソー
 
リー……。」
 
 
―――謝罪の言葉はこれで上等だ!これ以上は、もう言わないから
 
な!!
 
そんな思いを抱きながらちらりとジールの方を見てみたら、彼は、うむ、
 
うむ、と頷きながらダーナの背中に視線を向けた。
 
「『アイムソーリー、ヒゲソーリー、』ですか…確かシンラが一度寝言で呟
 
いたのを聞いたことがありました……敬意を払った謝罪の言葉だったの
 
ですね…心にぐっと来る、いい言葉の響きです、……国王陛下、シンラも
 
謝ったことですし、どうかお怒りはお収め下さい。わたしからもお願い致
 
します。」
 
 
ずっと沈黙していたダーナは、森羅の謝罪とジールの取り成しの言葉を
 
認識すると、無表情だった美貌の顔にほんの一瞬痛みが覗いたように
 
目を見開いた後、少しの間をあけてから床に座り込んで俯く森羅の横に
 
跪き、胸に抱き寄せて囁くように言葉を発した。
 
「シンラ……わたしも短慮だった、…許せ……おまえは、いとも容易く、
 
わたしの仮面を剥がす…だが、シンラは無くてはならぬ聖者ゆえ、大事に
 
致そう、怒りは一時(いっとき)のもの……ジール、おまえがシンラを部屋へ連れ帰
 
れ!!」
 
 
国王の言葉に頷いたジールは、森羅を抱き上げようと身を屈めた。
 
森羅は、涙の溜まった瞳でジールを見上げ両手で口を隠すように押さ
 
えていたがその手を離すと切羽詰ったように言った。
 
「……悪いけど、超特急で、部屋に連れて行って…は、吐きそう…」
 
 
   *** ***
 
 
「シンラ、着きましたよ、ひとりで歩けますか?」
 
ジールの問いかけに頷きながら目を開けると緑香の間の居間に居た。
 
「下ろしてくれ、歩けるから。」
 
ジールの腕から下りた森羅は、トイレまで走って行き急いで便座によじ登
 
るとそこで思いっきり嘔吐し、心の中で悪態をついた。
 
 
(う…気持ち悪い……あの腹黒!変態!髭があってもなくても、変態は
 
変態だ!! くそ!!!隊長ー、ひったくりにあった時より、悔しいであり
 
ます!)
 
〔――僕も悔しい、君を助けてやれなかった…これほど、自分だけの肉の
 
器が欲しいと思ったことはなかった…今だって、腕や胸があれば君を抱き
 
しめてやれるのに、口があれば君にキスして、あいつが残した感触を
 
僕が塗り替えて、消毒してやれるのに……。〕
 
(た、隊長、大丈夫ですよ、わたしは今からお風呂へ入ります!あの(あわ)(あわ)
 
で、口の中も綺麗にできるし、ダーナの気持ち悪い感触も、汚い唾液も、
 
洗ってしまえば済むことでして、全く問題ないのでそう落ち込まないで下
 
さい……。)
 
〔――でも…君のファーストキス……その相手が……僕じゃないなんて
 
…、〕
 
(何言ってんだー??? …隊長、お疲れのようですね、わたしは浴室へ
 
行って、さっぱりすれば大丈夫ですから、あんまり深刻に考えないで
 
下さい。)
 
〔――ん、早く洗い流して来い、ばい菌だらけで病気になるといけない
 
から。〕
 
(うん!)
 
 
   *** ***
 
 
 隊長と話した後、もう吐くものも無いようなので風呂場の方へ行き、
 
柔らかい芝生のような床に大の字になって寝転びながら、魔法の泡で
 
消毒をしてもらおうと、口を大きく開けたまま目を閉じた。
 
 
 
―――『……シンラは無くてはならぬ聖者ゆえ、大事に致そう…』―――
 
 
さっき、ダーナに言われた言葉…腹が立つより何だか悲しくなった。
 
髭の無いダーナの冷たい顔が浮かんで来て、ともすれば弱気になりそう
 
な気持ちを叱咤するように、自分の身に起きたことについてもう一度、
 
考えてみた。
 
 
『シンラ、わたしを見てみろ!……滑稽で、笑えるか…?髭があれば可哀
 
相な女性……無ければ女顔の…どちらにしても、気持ち悪い裸の王で
 
あろう。』
 
ダーナが言った言葉と追い詰められたような彼の顔が頭に浮かんだ。
 
……あれは、わたしの言質を引き合いに出しながら自嘲の想いが込め
 
られていた。
 
傷ついたのを隠そうとしていただけで、怒りよりも悲しみの方が大きかっ
 
たのかもしれない…でも、盗聴確認作戦で言った言葉を根に持つにして
 
も……その話なら、白石の間に現れた時点で既に知っていた訳で……
 
あいつが豹変したのは、わたしが殴って、ヒゲが飛んだからか? 
 
 
 
ああでもない、こうでもないと考えてたら、すぐ傍でジールの声がした。
 
「これを飲んで下さい、吐気が治まると思います。」
 
横を見ると跪いたジールが、グラスに入った薄緑の飲み物を差し出し
 
ていた。
 
 
「起き上がれますか? 顔色が無くなっていますね、吐気の他にどこか痛
 
みますか?」
 
起き上がろうとした森羅の背中に手を置き、ゆっくり助け起こしたジール
 
の問いに首をふりながら、薄緑の飲み物を受け取って飲んだ。
 
ペパーミントのような香りとほんのり甘い味がして、口の中の気持ち悪さ
 
が完全に無くなり、ゆっくりと呼吸しながら飲み乾すと、嘔吐を繰り返し
 
疲弊した体を癒すような安堵の溜息が吐いて出た。
 
 
「シンラ、寝台まで抱いて行きます。」
 
「要らない、まだここに居るから…、 あっ!! そう言えばストップザ
 
モーションされたみんなは!? タリシャンは無事なのか!?」
 
 
 
back top next
 
 
  
inserted by FC2 system