55.持病
 
 
  国王の凍結魔術は、体の動きを封じただけで命を脅かすものではない
 
と聞き、みんな無事なんだとほっとした所へ、血相を変えたフランと泣きそ
 
うな表情のタリシャンが飛び込んで来た。
 
フランは、床にあぐらをかいて座っている森羅の向かい側に自分も同じよ
 
うに座ると、いつもの涼しげでどこか取り澄ました顔からは想像もつかな
 
い真剣な面持ちで探るような眼差しを森羅に向けた。
 
 
「シンラ、大丈夫なのか?」 
 
「えっ? 何が?」
 
「何がって、…口づけされただろー!陛下に……あっ、あれだ、さっきの
 
口づけはもう忘れた方が……忘れろ!」
 
「えーぇっ!!」 
 
意義を唱えるような森羅の声に、ジールが心配そうに顔を顰めた。
 
「わたしもフランの言う通りだと思いますよ。 いくらお仕置きの一つに
 
しても、男同士の口づけとあっては泣きたくもなります。 可哀想だと思
 
いますが、もう起きてしまったことは仕方ありませんから、後は、忘れる
 
ようにした方が貴方の為ですから。」
 
「くちづけ…何、言ってんだ!?」
 
「何言ってるって…国王陛下にやられて、いや、失礼、そのショックで嘔
 
吐までされたんでしょう、貴方の気持ちはよくわかります。口づけとは、
 
男女の、それも愛のあるものでなければなりません。それなのに……」
 
ジールは、まるで自分が国王からされたかのように嫌そうに顔を歪め
 
ながら、無意識だろうが自分の口をぬぐうような仕種をしていた。
 
 
「馬鹿も休み休み言え! 口付け? はぁん!! 笑わせるな、あれは
 
口喧嘩だ! わたしはあれがキスだなんて思っちゃいない!」
 
「でも、吐いていたのではありませんか…?」
 
「うん、だって気持ち悪いだろー、他人の舌が、口の中で勝手に動き回っ
 
て、しかも唾液まで入ってきたんだぞー! 汚いじゃないか!! だから
 
吐いたのは自然なことだ!!」
 
「「「へっ?!」」」
 
「みんな、何、驚いてるんだ?」
 
「はーぁー……」
 
 
これ見よがしの溜息を吐いたフランは、亜麻色の頭を掻き毟りながら
 
森羅の顔を呆れたように覗き込んだ。
 
「溜息も吐きたくなるだろー? シンラが落ち込んでいるんじゃないかと
 
心配して、それにどうやって慰めようかと気を揉んでいたのにケロッと
 
して……普通はだな、『国王が恐かった』とか言って泣くんじゃないの
 
かー? この場合…シンラの反応は、おかしいぞ! 汚いとか言ってる
 
けど、もしかして照れてるのか? あっ、それとも、何かー? 国王に
 
されて嬉しかったのか? 男でも、国王は美しいしな……えっ!?まさか
 
…国王のことが好きなのか?」
 
「んな訳ないだろー!このボケナス!!勝手なことばかり言いやがって、
 
フラン、あんたの脳みそは腐ってるな、アホ過ぎる! バカ過ぎる!!」
 
「何だとー!?」
 
「だいたい何でわたしが国王を好きになるんだ? ダーナはフランを超え
 
る位の変態だぞ!! 」
 
「変態って、失礼だろう、国王に対しても俺に対しても!」
 
「じゃぁ、変態が失礼なら、《ホモペド》だ! 耳の穴、かっぽじって、よく
 
聞けよ! ダーナは、な、踊ってる最中に、もっこりを勃起させて、それ
 
からその妙に硬いもっこり棒でわたしのこの辺、正確には胃の辺りを
 
押し付けるように、腰を振って二回も突いたんだぞ。」
 
「………」
 
 
フランは言葉も無く目を見張るだけで、ジールとタリシャンは息を潜めて、
 
痛々しいものを見るように森羅の顔を凝視していた。
 
 
「な、これで解っただろう? 何でわたしが落ち込んで泣かなきゃならな
 
いんだ? 泣く理由がわからない、それに怒ることはあっても、どうして
 
わたしが、あの国王に脅えて怖がらなきゃならないんだ?」
 
 
鼻息荒く叫んだ森羅にジールは、首を傾げつつも真面目な顔で、諭す
 
ように言った。
 
「シンラ、貴方が強気で自分の弱さを見せたくないのも解りますが、陛下
 
は上背もありますし、それだけで脅威を感じる存在です。 それに加えて、
 
股間の………もっこ、ぼ、ぼっ、き、……高ぶりを押し付けられて、恐ろ
 
しかったはず…貴方が吐いたと言うことも、自分は意識していなくても、
 
精神的な打撃を受けた証拠です。 だから、わたしの前で強がるのは
 
お止め下さい、無理せず、」
 
「吐いたのは、持病だ。」
 
「「 持病?! 」」
 
 
フランとタリシャンが驚きの声で鸚鵡返しに言った後、ジールが二人に静
 
かにするように言い、森羅に先を説明するよう促した。
 
「持病って言っても別に大したことじゃないんだ……わたしは…極度の
 
綺麗好き、潔癖症なんだ…。」
 
みながぽかんとした顔をしているので、理解できていないのがわかった。
 
 
「潔癖症って、強迫性障害の一種で不潔恐怖症というか、……んー、例え
 
ば、何か不潔な感じがして図書館の本だとか古い本、誰かが触った本が
 
触れなかったとか、他所の家で出された食事やコップも気持ち悪くて、食
 
べたくないとか、飲みたくないとか…だから友達同士で缶ジュースを回し
 
飲みしたりもイヤだったし、旅行に行っても枕や布団が気持ち悪くて、寝
 
れなかったし、勿論、キスなんか想像しただけで吐気がしたな……これが
 
潔癖症の症状だ。」
 
「はぁ、それなら聞いたことがあります…ここでは単に繊細過ぎる精神と
 
言いますが、……何らかの原因があると思われますが心当たりは?」
 
「う、ん……あるけど……」
 
「何なんだ? 早く言えよ、シンラ、」
 
「フラン! 言いたくないことをあまり問い詰めるものではありません、
 
シンラが話して下さるまで、待ちましょう。」
 
「でもな、そう言うけど結婚もできないぞ! それからシンラがそんなん
 
じゃ、…あっちの方はどうするんだ?」 
 
「あっち?」
 
「けっ、かまととぶりやがって!」
 
「フラン、わたしに喧嘩を売ってるのか?」
 
「ジール神官長さんよー、だからー、俺が言いたいのは、口づけ位で吐く
 
ようじゃ、ぶっちゃけ…子を生す行為はできるのか?ってことだ。」
 
「……」
 
 
目を見開きながら瞬間的に頬を赤く染めたジールを嘲笑うかのように、ニ
 
ヤニヤと人の悪そうな笑みを浮かべたフランを見て、慌てたようにタリシ
 
ャンが口を挟んだ。
 
「シンラさま、でもここでは食事も普通に召し上がられておりますし、寝
 
台でもゆっくりとお休みになられているのでは?」
 
「うん、そうなんだ! 昔は他にもいろいろ出来ないことがあったんだけ
 
ど、大分、治ったというか、気にならなくなって来たんだ。 だからまぁ、
 
結婚についても誰かを本気で好きになるとか、恋でもしたらキスや他のこ
 
とも自然にできるか…我慢できると思う。 だからフラン、それからジー
 
ルも、わたしの性生活に関しては余計な心配はするな!!」
 
「でもシンラ、簡単に言うけど…もし、その潔癖症が治らなかったら悲惨
 
だぞ! 原因がわかっているなら治療は簡単なんじゃないのか?」
 
「無理だ、わたしひとりの問題じゃないし、原因もきっかけに過ぎない。」
 
「どうして無理だと決め付けるんだ!? 俺じゃなくてもジールに話をし
 
て、その障害を取り除いてもらった方がいいんじゃないか?」
 
「シンラさま、僕もフラン副神官さまの仰る通りだと思います。 この先、
 
貴方が我慢を強いられたりするのを見ているのは辛いです。」
 
「わたしも微力ながらシンラの力になるつもりです。 過去に何があった
 
のか……話して頂けますか?」
 
「……駄目だ!!それから、この国に聖者の血を分けた子どもが必要な
 
ことも理解しているけど、わたしには、まだ恋愛も結婚も関係ないという
 
か、早過ぎるし……利用する為に召喚された側にしたら、……ジール、フ
 
ラン、あんたたちには世話になっているのにこんなふうに言うのは悪いけ
 
ど……、でも心までは好きにさせない! ……タリシャン、わたしは大丈夫
 
だから心配しなくていいよ。 気が向いたら君には話してあげるからな!」
 
 
 
 ジールは、森羅をじと目で見、フランは、タリシャンだけには優しいん
 
だから、気に喰わないとかぶつくさと文句を言っていたが、森羅もタリシ
 
ャンも完全に二人をスルーして微笑みを交わしていた。
 
 
「じゃぁ、シンラさまは、…今まで、誰にも……く、口づけはされたこと
 
がなかったんですよね、国王陛下に奪われるまでは……?」
 
「何度も言うようだけど、あれはキスじゃない!ノーカウントだ!!わた
 
しは、一種の拷問だと思ってるから……。」
 
「拷問って、国王が可哀想じゃないか?」
 
「それより、国王陛下に何を言って怒らせたんですか?」
 
フランとジールが立て続けに聞いてきたが、国王が可哀想だと言うのは
 
納得できない、フランをぎろりと睨みつけてからジールの問いに答えた。
 
「これだ!」
 
そう言って森羅は、ジールの銀髪のてっぺんに張り付いたままの黒い
 
ハの字型付け髭を手のひらに取って見せた。
 
 
「国王は自分の女顔が嫌いらしいな? でも髭なんか無い方が綺麗なの
 
に……な?」
 
 
森羅の手のひらに載せられた黒い髭を凝視しつつ、さっと顔色を変えた
 
ジールとフランは、何か言いたそうにしていたが、森羅は自分の正当性を
 
主張しようと言葉を続けた。
 
 
「よくよく考えれば、あんなにも怒ることないよな? そりゃ、ハゲで頭の
 
鬘が取れたんなら話は別で傷つくのもわかるけど、たかが、口髭くらい
 
で……そもそも、どうして付け髭なんだ? 毛が無いのを気にする部分
 
でもないし…あんなもん必要ないのにな? そう思わないか?…なぁー?
 
…おいっ、ジール!フラン!」
 
 
ジールとフランは揃いも揃って二人同時に、重々しい溜息を吐いた。
 
「二人とも呆れたような顔して、いったい何が言いたい?」
 



back top next
 
 
inserted by FC2 system