58.脈絡
 
 
 執務室前で警護をしていた近衛騎士団のひとりが、重々しい扉を
 
開けてヴァローズを呼び出し用件を告げた。
 
「副神官のフラン・ソッフォーム殿が、届け物を持って来ましたが如何
 
致しましょう?」
 
 
国王への目通りはすべてこの側近であり執事を勤めるヴァローズを
 
通すことになっていた。
 
ヴァローズは扉の横に立つフランの姿を認めるなり、薄茶色の目がほん
 
の僅かだが険しくなった。
 
 
―――間の悪い時に一番来てほしくない、無遠慮な奴がやって来たもの
 
だ。
 
溜息を吐きたくなるのを堪え、部屋の中へは入れずに、ここで届け物とや
 
らを受け取りそのまま追い払おうと考えたが、ヴァローズが口を開くより
 
前にフランが扉の中へ入って来た。
 
 
「あっ、ヴァローズ、国王への届け物があるんだ。」
 
フランはそう言うなりヴァローズが止めるのも無視して、ずんずんと脚を
 
進めて行ったのだった。
 
 
 
日当たりの良い窓際に配置された十人は軽く座れる紫色のソファが見
 
えたと同時に、フランは鼻をつく酒の匂いに気付くと無邪気とも見える笑
 
みを浮かべながら形式通りの挨拶を全てとばして口を開いた。
 
 
「国王陛下、麦酒ですか? 酒の肴はガウルの燻製とは……固いことを
 
言うつもりはありませんが、いいご身分ですねー? ジールも俺も、シンラ
 
を宥めるのに苦労していたのに……その黒幕である貴方が酒盛りとは…
 
俺も一杯、ご相伴に与りたいものですね。」
 
「フラン、少しは礼儀をわきまえて下さい、用件のみ、手短に!」
 
「俺もそう思っていたんだけど、どうやら仕事中でもなさそうだし、無礼
 
講でいいんじゃないか? ヴァローズもエルロスも飲んでるんだろ?」
 
「わたくしもエルロスも仕事中ですから、一滴も飲んでおりません!!」
 
ヴァローズが頬を引き攣らせて答えると、ガウルの燻製を手づかみに
 
頬張りながら、ソファにふんぞり返ったエルロスが鷹揚に問いかけた。
 
「相変わらずおまえは厚かましい奴だな、ダーナに届け物を持って来たん
 
じゃなかったのか?」
 
「あっ、届け物と言うか、忘れ物と言うか…」
 
「さっさと置いて出て行け!」
 
「そうですよ、ここは酒場ではありませんから、飲みたければ他所で、」
 
「二人ともそのくらいにしておけ! フラン、まぁ立ったままでもよいが、
 
座りたければ座れ、ヴァローズ、グラスを用意してやれ。」
 
国王がそう言うと、反論の声はそれ以上は上がらず、ヴァローズもエルロ
 
スも苦笑するのみだった。
 
 
 
フランのことを口では貶(おとしめ)たりしながらも国王ダーナを始めエル
 
ロス、そしてヴァローズも実は外見とはかけ離れた、図太い神経、たとえ
 
身分が上であろうが下であろうが全く動じることがない彼の性格を好まし
 
く思うと同時に密かに気に入っていたからだ。
 
 
*** ***
 
 
フランは、国王の向い側で酒には口をつけず、もっぱらガウルの燻製
 
ばかりに手を伸ばしているエルロスの隣に腰掛けると、ヴァローズが前に
 
置いたグラスに自ら手酌で麦酒を注ぎ、煽るように一気に飲み干した。
 
 
国王は、自分も麦酒をひとくち飲んだあと、フランに優美な微笑を
 
向けた。
 
「フラン、シンラはどうしておる?」
 
「はぁ、…ひと言で言い表すと…拗ねてます。」
 
「拗ねる?シンラに何をしたのだ、おまえは!?」
 
「よく言いますよ、何かしたのは国王陛下じゃありませんか!……忘れ物
 
は、これです!!」
 
フランは半ば呆れたように言い返すと、テーブルの上に白いハンカチを
 
広げて見せた。
 
 
「あぁ、それか…もう要らぬゆえ、それはおまえにやる。」
 
「“やる”と言われても、こんなヒゲ、俺だって別に要りませんよ!!」
 
「そうか、なら捨てろ!」
 
国王はフランを咎めることもなく、白いハンカチから目を逸らした。
 
 
「フラン!! おまえは失礼にも程があるぞ!有難く受け取れ!!」
 
「そう言われても俺には必要ないし、ならエルロス、あんたがもらった
 
ら?」
 
「えっ、お、俺か…? 俺には色が合わないし…ヒゲは柔肌を傷つける…
 
その、あれだ…女が嫌がるんだ。」
 
「まさに、“ネコに髭剃り”、“イヌに下穿き”、“ブタに膝枕”、ですね…」
 
「ヴァローズ、当て付けがましいぞ!!」
 
「いえ、そんなふうに聞こえてしまったなら申し訳ありません…ただ、
 
わたくしはこの髭で女性を喜ばせたことはあっても、嫌がられたことなど
 
ございませんので……もしや…経験不足なのか…それとも下手なのか…
 
わかりかねますが、髭は男のロマンです!!そこの所、お間違えないよう
 
にして頂きたいですね!」
 
ヴァローズは、自分の薄茶色の口髭を軽く指先でなぞりながら、どこか悦
 
に入った表情でエルロスとフランを見やった。
 
 
「まぁ、おまえのような爺顔には、小道具を使いこなすくらいの芸がなく
 
ては、女も寄って来ないし、すぐに逃げられるのだろうな……俺の肉体美
 
を目にした女は、それだけで濡れてしまうというのに……」
 
「もぉ、二人ともつまらないことで喧嘩しないで下さいよ! いい年して
 
みっともない! 仕方ないからこの髭は一応、俺がもらってあげます!!
 
所で、日も暮れぬ内から酒盛りとは、一体どう言う風の吹き回しです
 
か?」
 
「…………俺は飲んでない…。」
 
「……わたくしも飲んでおりません……」
 
フランは、探るようにエルロスとヴァローズに顔を向けたが二人は曖昧に
 
笑うだけでそれ以上は答えなかったので国王の方を見てみた。
 
 
 
国王は、素知らぬ顔で麦酒を飲みながら気怠そうに執務室の窓から見え
 
る沈みかかった夕陽を見つめていた。
 
黒い髭のない横顔は、憂いを含んだ艶のあるもので、月並みな言い方を
 
するなら性別を超えた美しさを具えた芸術品のようであった。
 
国王の姿を目の端に捉えながらどこか彼と共通するようなオーラを持っ
 
たシンラのことを思い浮かべたフランは、やや責めるような口調で言葉を
 
紡いだ。
 
 
「国王陛下、シンラが拗ねていると俺は言いましたが、実際はそんなに軽
 
いものではなくて、もっと……シンラの言葉をそのまま言いますよ。『…
 
…国王に何があったのか…、抱える闇も過去に負った傷が未だに閉じる
 
ことなく血を流していることも知らなかったし、わからなかった…』それか
 
ら、『……自分は、神じゃない、ただの人間だ!…不敬罪だと言うんなら
 
縛り首でも打首にでも、十字架に磔の刑にでも、何でも勝手にしたらいい
 
だろう!』……そう言って、細い肩を震わせ今にも消え入りそうな儚い風
 
情て泣いていました。」
 
 
フランは、芝居がかった台詞のように、些か誇張して森羅のことを話した
 
のだが、ここにいる誰もが笑いもせず真剣な眼差しで話に聞き入ってい
 
た。
 
 
「そうか、…泣いておったか…」
 
国王はただそれだけ言うと心ここに在らずといった様子で、その後は
 
長い脚を組んだまま背もたれに体をあずけ目を閉じてしまった。
 
 
フランは、小さくため息を吐いて首を左右に振り話しを続けた。
 
「陛下、シンラをどうするんですか? いつまでも緑香の間に閉じ込めて
 
おくのは可哀想です! それに、あなたの玩具にされたんでは頼る術も
 
持たないシンラは、精神を病んでしまうかもしれない、俺はそんなこと
 
許せません!!」
 
「ほぉ、許せぬか……だが、シンラはわたしのものだ! フラン、前にも
 
言ったはずだが、耳が悪いとみえるな……もう一度言う、おまえに
 
シンラ、聖者は渡さぬ、いや、誰にも渡さぬ!……フラン、はっきり言って
 
おこう、シンラをわたしの花嫁に()るつもりだ…明日にでも皇后の間に
 
シンラを移すように!!」
 
 



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