59.消えた隊長 
 
 
 鉄の鎖で拘束され締め上げられたかのように体中がぎしぎしと痛み、
 
場所も特定できないほどあちらこちらが悲鳴を上げていた。
 
このまま深い闇の中へ意識を落としてしまいたかったが、誰かが自分を
 
呼びながら、肩を優しく揺するのがわかった。
 
渋々重たい目を開け、ぼんやりとしながら目の前に焦点を合わせると、
 
心配そうに瞳を曇らせたタリシャンが、じっと顔を覗き込んでいた。
 
 
タリシャンの青く澄んだ瞳が翳り、今にも涙をこぼしそうだったので、す
 
ぐに手を突いて起き上がろうとしたら、脳天に突き刺さるような鋭い痛み
 
が胸の辺りから背中にかけて走り抜け、一瞬息が詰まって声が出な
 
かった。
 
 
しばらくそのままの体勢で、目を閉じて痛みの引くのを待ったが、重たく
 
響くずきずきした痛みに変わっただけで、やはりくっつきかけていた肋骨
 
がまた駄目になったのかもしれないと思った。
 
 
「シンラさま、大丈夫ですか?」
 
「うっ、…ん………タ、リシャン…、」
 
「随分、うなされておいでだったので、大丈夫ですか?」
 
「あ、ありがとう……わたしはどれくらい寝ていたのかな?」
 
「はい、白石の間から戻ったのがだいたい五時でしたので、あれから一時
 
間程、経っております。」
 
「そうか…、」
 
 
立ち上がろうとしたら、体中の筋肉が軋むようなだるさと息をする度に
 
胸を抉られるような鋭い痛みが走り脂汗が滲んできた。
 
声を出そうとしたタリシャンに、喋らないようにと合図を送り、肩を借り
 
ながら浴室とトイレに続くドアまで進んで行き、後は壁を伝いながら中
 
へ入り、ひとりで用を足した。
 
先ほどまで感じていた悪寒が治まると熱が上がってきたせいか、反対に
 
熱くて仕方なかった。
 
 
 
出て行くとトイレの前でタリシャンが待っていたので、汗ばんだ体が気持
 
ち悪いからと告げて、ふらふらする体を支えるように壁伝いに 浴室へ
 
入った。
 
 
「シンラさま、熱があるようです! ジール神官長に言って医師を呼んで
 
もらいます!! 」
 
「駄目だ!! 呼ばなくていい!」
 
「でも、病気がひどくなったりしたら…、」
 
「……病気じゃないよ、……怪我なんだ…この世界に来る前に…肋骨を
 
骨折して………また…痛めたみたいだけど……ほら…この服の下にある
 
…白いコルセット……これで固定してるから……大丈夫なんだ…ほっとい
 
ても……自然に………治るから…、」
 
「でも、痛みがひどいんですよね、熱もあるし、このままでは、…やはり
 
医師に診てもらわないと、僕、呼んで来ます!」
 
「 タ、リシャン、…待て、……わたしが女だと…バレてしまう……、」
 
「……………」
 
 
言葉を失ったタリシャンに、再度大丈夫だからと念を押した。
 
 
「シンラさま、ジール神官長さまは、シンラさまが眠ってしまわれたのを
 
知らずに、貴方の背に向かってですが、『 アイム、ソーリー、ヒゲ、ソー
 
リー 』と、本当に心から謝っておられ、シンラさまを傷つけたことをす
 
ごく悔やんでいるのが僕にもわかりました。」
 
「そうか…、もう……わたしも…別に怒ってないけどな……ただ、わたし
 
は…ここを出て行くつもりだから……そんなに深く…関わりあう必要も
 
……なかったし…よくよく考えてみたら、ジールやフランのことを……、
 
どうのこうの言える………立場じゃなかったんだ……すぐに過去の人に
 
なるんだ……国王も…、」
 
「シンラさま、僕は貴方の過去になるのは嫌です!! ずっと貴方の傍に
 
居させて下さい、お願いします……。」
 
「タリシャン……馬鹿だなぁ…反対だぞ………わたしが君にお願いしな
 
くちゃならない…んだ、タリシャン、わたしは……この世界の人間じゃな
 
い………よそ者だ…頼れるのは君しかいない………迷惑ばかり……
かけるけど…力になって欲しい………逃亡の巻き添えにするのは気が
 
引けるんだけど…一刻も早く………ここから抜け出したいんだ…、」
 
「わかりました!! 僕の命に換えても貴方をお守りします…僕のこと
 
は気にしないで下さい、神殿の医務室に行けば、鎮痛剤があると思い
 
ますので、頭痛がするとか言って僕が使うふりをして貰って来ます!それ
 
まで、寝台で横になって少しでもお休み下さい!!」
 
「………うん…そうする、でも…まだしばらく……汗を洗い流したいから
 
わたしは……ここに居る…自分で動けるから…君はその医務室に……
 
…行って……薬を………貰ってきてくれ…」
 
タリシャンは心配そうに森羅を見つめ返したが、意を決したように頷くと
 
身を翻して浴室を出て行った。
 
 
   *** ***
 
 
タリシャンが出て行ったあと、なるべく平気に見えるように痛みを堪え
 
平気なふりを装っていた森羅は、その場に崩れるように身を横たえた。
 
あれほど熱かった体が今度はまた凍えるように冷え、歯がカチカチと
 
鳴り、ぶるぶると悪寒に震える体を起こすと、今度は肩で息をするように
 
荒い呼吸を繰り返しながら半分這うようにして浴室から出て行き、寝室ま
 
で何とかたどり着いたが、どうしても腕や脚に力が入らずベッドの上には
 
上ることができなかった。
 
 
(隊長、…何か今回は…気力が……追いつきません……)
 
〔―― …………〕
 
(は、早く…計画をたて…逃げ出したいのに…逃げなきゃ…いけないの
 
に、思うように……体が…動きません)
 
〔―― …………〕
 
(隊長、隊長!…た、たいちょうー!!…わ、わたしの、相方…何で…答
 
えて……くれないんだ…?)
 
〔――しん…ら…、……、…〕
 
(え…?あ、あれ…?た、隊長の声なんか聞こえにく……)
 
〔――ゴメ…ン……わからな……けど、……、…君の…声……遠い……〕
 
(どっ、どういうことだ…?!)
 
〔――………〕
 
(おい!?返事をしろ!!)
 
〔――............〕
 
 
 
 
………その後、何度呼びかけても隊長の声は聞こえず、会話をすること
 
はできなくなっていた。
 
これまでにも腹を立てた相方が、わたしを無視することはあった。
 
それでも、心のどこかでその存在は感じていたし、どんなに怒っていても
 
必ず応えてくれた。
 
そればかりか、いつも安心できる温もりをもたらしてくれていたのに……
 
 
 
―――今は、その温もりがまったく感じられないじゃないか―――
 
 
ぽっかりと大きな穴が開いた心。
 
そこに凍えるような冷たい風が吹き抜けている。
 
誰もいない宇宙の果てに独り取り残されたような孤独、空虚。
 
 
―――わたしは、独りになってしまったのだろうか―――
 
        
 
そう認識した森羅の顔は、一気に血の気を失い紙のように真っ白に
 
なった。
 
 
 
『おいってば!どういうことだ!?な……何とか言ってくれ…!君がいな
 
きゃ…わたしは、…っわたしはどうすればいいんだ!!なあ!?答えろ
 
よ!!わたしを置いて行くな!!頼むから……答えてくれよ――!!!』
 
 
 
 
まるで自分の半身が捥ぎ取られたような絶望感に襲われた森羅は、
 
胸を掻き毟る仕種をしながら息も絶え絶えに、泣きなきがら絶叫した
 
のだった。
 
 
 
 
―――もう……無理だ……君がいないなら、生きていけない…―――

 

 



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