60.風前の灯
 
 
 『シンラを娶る』国王の言葉を聞いたフランは、面白くない戯言だと鼻
 
で笑うつもりだった。
 
しかし、国王の一見すると暗く翳りを帯びた瞳の中に情熱を秘めた燻るよ
 
うな輝きがで見て取れ、それが国王の本気だと気づき笑えなかった。
 
 
―――曲がりなりにも一国の王…忠誠を尽くすのは当たり前だと、他のこ
 
とだったなら……『御意』のひと言を告げて従ったかもしれない。
 
でも、それだけは言えない、どうしても言えなかったフランは、金縛りに
 
遭ったように喉に声が張り付いてすぐには反応を返せなかったが、何故
 
か刻々と時間が経つごとに冷静になる所か、益々頭に血がのぼり、口を
 
ついて出て来たのは国王を非難する言葉であった。
 
 
「いくら国王だからって横暴にも程がある……あなたの歪んだ欲望で、
 
シンラを汚すなーーー!!」
 
「フラン、やめろ!!」
 
食って掛かったフランを諌めたエルロスは、大きく息を吐いたあと水をひ
 
とくち、口に含んで硬い表情のまま話し出した。
 
「フラン、よく聞けよ…突然で驚くのも無理ないし、俺達も先ほど聞いた
 
ばかりだから……シンラは、女だそうだ…女性である聖者が現れる
 
のは、初めてのことだが、シンラは紛れもない正真正銘の聖者だ。
 
聖者との間に子が必要なのは、おまえも解っているだろう? 陛下の
 
寵愛を受けるのがシンラにとっても一番相応しいのではないか?」
 
「……おんな?……」
 
「そうだ、ダーナがシンラの髪を調べた結果だから間違いない。それと、
 
男だと偽っていたのは、女ゆえの防御、最初に…聖者には子を生して
 
もらいたいと望んだからな、それを聞いて、自分の身を守ろうと考えた
 
結果の苦肉の策だったんじゃないか? 何とも…不憫なことだ…。」
 
「……俺は…シンラは、…シンラが男なら自由に相手を選べて、女だと有
 
無をも言わさず自分のものにする……陛下の考えには……承服できな
 
い、シンラがこの国に召喚されてから、ずっと俺とジールでシンラの面倒
 
を見て来たんだ! 無礼者と言われようがここはおいそれとは引けない…
 
…。」
 
 
少しくぐもった声で、自分の心情を吐露するフランは、見ていて痛々しい
 
ものがあった。
 
 
 それから、話しているうちに気持ちも落ち着いて来たのか、ソファの腰
 
掛から立ち上がり身を正すと、きりりとした澄んだ眼差しを国王に向け、
 
口調も丁寧なものに変えてフランは話し始めた。
 
 
「国王陛下、聖者に関しましては、神殿の管轄でもあります…ジール神官
 
長もシンラが女性であることを知りませんし、ましてや聖者の年齢を考え
 
ても、早急には、国王陛下の命に同意しかねるものと思われます。……と
 
にかく、この話は一度神殿に持ち帰り、改めて返答致しますので…失礼
 
致します。」
 
 
   *** ***
 
 
その頃、神殿にある医務室に行ったタリシャンは、頭痛と筋肉痛がひど
 
いと偽って痛み止めの薬を貰った所だった。
 
医師の診断もいい加減にかわし、薬の説明も中途半端にさえぎり、
 
念願の薬を手にした途端、挨拶もろくにせずに医務室を飛び出した。
 
 
森羅が自分を心配をさせないように気を使い、無理をしていたのが
 
わかっていたので、訝る医師や傍を通ったジールが声をかけたのにも
 
気づかず、全速力で浅緑塔にある緑香の間目指して走っていた。
 
 
一方、不審に思ったジールは、タリシャンが出て来た医務室に入れ違う
 
ように入って行った。
 
 
 
   *** ***
 
 
 緑香の間に着いたタリシャンは、息を整えながら、もしかして森羅が眠
 
っているかもしれないと思い、足音をたてないように静かに、寝台の帳の
 
中に入って行った。
 
 
 
そこでタリシャンが目にしたのは、一瞬で思考を混乱させてしまうもの
 
だった。
 
 
 
 
―――寝台の下でうつ伏せに倒れている人―――
 
 
 
 
………… 誰だ?
 
 
……シンラさまが着ていたのは、純白の神官服だ……
 
………目の前に倒れている人のは……
 
…………赤い…………
 
……シンラさまは、こげ茶色の髪で……
 
………ほんの少し肩にかかるくらいの長さだった……
 
 
………目の前に倒れている人の髪は、こげ茶色だけど……
 
……背中一面を覆うように腰の辺りまで広がっている……
 
………誰?……シンラさま………
 
 
   *** ***
 
 
 ジールは、医務室の医師からタリシャンがやって来た理由について尋
 
ねることにした。
 
 
祖父セイントの弟子でもある顔見知りの医師は、よくぞ聞いてくれたとば
 
かりに身振り手振りを交えて、話し出した。
 
 
「何でも、頭痛と体の打ち身や骨折の痛みにも効く位の強い痛み止め
 
が、欲しいと言ってきたんだ、それで、誰が使うのか尋ねたら自分が飲む
 
と言うんでね、診察しようとしたら、仕事を抜け出して来たので…後でまた
 
来るから、その時に診てもらいますので、痛み止めを先に下さい、と……
 
泣きそうな顔して何度も頭を下げて頼むもんで可哀想になってね、…虫
 
歯でも痛むのかと一応副作用のない痛み止めを渡したんだ、そして説明
 
をしようとしたら、ありがとうございました!とひと言だけ言って、振り切る
 
ように出て行ってしまったんだ。あのギョームだけど君の知り合いか?
 
用法は食後に一日2回までだと言っておいてくれないか? 頼んだよ!」
 
 
ジールは、医師の長い話を打ち切るタイミングがつかめず、苛々しながら
 
聞いていたが、ふと思いついた悪い予感に顔を顰めながら、曖昧に返答
 
した後、瞬間移動の魔術を行使したのだった。
 
 
普段は、歩いて緑香の間に行くのだが、この時ジールは、虫の知らせと
 
いうものか…自分でもわからない予感と焦燥を覚えただひたすら森羅
 
の元へと急いだ。
 
 
   *** ***
 
 
 瞬間移動によって、緑香の間の扉の前に現れたジールは、何事も
 
無ければ良いのだが…と、祈るような気持ちで部屋の中へと入って
 
行った。
 
 
 
「 シンラさま、シンラさま…シンラさま……」
 
 
―――震える声で森羅の名を呼ぶタリシャンの声が聞こえた。
 
 
ざわざわと鳥肌が立つような思いを押しのけるようにして、足を進めた。
 
 
………そこでジールが見たものは、様変わりして血の海に横たわる
 
森羅の変わり果てた姿だった。
 
 
「 どけー!!!」
 
タリシャンを突き飛ばすようにして森羅の元へたどり着いたジールは、
 
服も手も銀色の髪も真っ赤に染め上げながら跪き、森羅の呼吸を
 
確かめた。
 
「 まだ、息がある! イリオークの聖者を守り給え…」
 
ジールは短い祈りを奉げると、血に濡れた手で落とさないよう懐から
 
モーヴを取り出し、握り締めながら、震えてかすれそうになる声を絞
 
り出した。
 
 
「陛下!! シンラが重体です!祖父を、セイントを至急緑香の間に!!
 
転移魔法で! 間に合わない!急いで下さい!!」
 
 
   *** ***
 
 
国王の執務室を出ようと踵を返して扉に向かっていたフランは、その時、
 
国王の切羽詰まったような尋常でない大声を聞いたのだった。
 
 
『何だとーーー!? シンラが…重体?……わかった! セイントを連れ
 
て行く!!!』
 
 


 
back top next
 
 
 
 
inserted by FC2 system