63.流動
 
 
 折れて外側にずれた肋骨二本を元に押し戻しつなぎ合わせた後、
 
幸いなことに神経には損傷がなかったので、血管、皮下組織、真皮、表
 
皮の傷を塞ぎ次々と修復していった。
 
セイントが霊視をしながら的確に支持を出し、それに従う形で国王、ジー
 
ル、フランが交替で癒しの魔法を施していくことで、二時間に渡る治癒魔
 
術を無事、終えた。
 
 
森羅の意識はまだ戻らないが、危機を脱した安堵感からかようやく緊張
 
の糸が解け、やわらかな空気が緑香の間に戻ってきた。
 
 
   *** ***
 
 
「セイント、疲れたであろう、椅子に座った方がいいぞ、」
 
「なんの、これしき!!」
 
「無理致すな、おまえに倒れられては、困るでの、……シンラのことはこ
 
れからも、おまえ以外の医師に診せるつもりはないゆえ、」
 
 
黙って頷いたセイントは、国王の指し示した椅子に座ると、やはり少し疲
 
れた表情で国王を見上げた。
 
「陛下、これからシンラには女性の手伝いが要りますぞ、侍女を付けませ
 
んとな……それともう一つ、シンラの部屋を主塔の陛下の階へと変えて
 
頂きたいのじゃが、」
 
「ちょっと待って下さい、部屋を変えるにしても、わざわざ主塔の、それ
 
も陛下の部屋がある階に移さずとも…ここにも空いた部屋はあります!」
 
 
ジールは、国王が、森羅の意思を無視して彼女を娶ると言い出したこと
 
をフランからそっと耳打ちされたことで、急遽、部屋を移動するというセ
 
イントの言葉に、黙っておれず思い余って口を挟んだ。
 
 
そして、 国王に並々ならぬ対抗心を持つフランも、ジールを後押しする
 
ように、セイントに真っ直ぐな視線を向け言った。
 
「そうだ! ジールの言う通り、シンラのことは俺たちで世話をするから、
 
連れて行く必要はない!!」
 
 
セイントが溜息と共に憂いを滲ませながら、不満顔の二人に応えた。
 
「フラン、ジールもよくお聴き、シンラは女の子じゃ、ここでは不都合な
 
んじゃ、待て、最後まで話しを聞くのじゃ、リガロニアをシンラに飲ませ
 
ておったのを知っているじゃろう…シンラの髪が伸びたのはその作用
 
じゃ、本来リガロニアは、毎日少しずつ効果が現れるんじゃが、偏重
 
をきたしたようでの……尋常では考えられぬこと……どういう理由か
 
わからぬが、シンラの場合、作用が急激に働いた…それと共に破綻
 
出血を起こしておる、要するに、月のもの…それもかなりの量の下血が
 
あるのじゃ、これは無理に止血する訳にはいかん…、たぶんひとりで
 
立って歩くのもしばらくはままならんはずじゃ、……そこでシンラが男の
 
手を借りれるか? ここは神官の住まう塔、男しか住んでおらん、侍女
 
を連れて来たとしても、用を足す手洗いも男仕様じゃ…それでは不都合
 
なんじゃ…シンラの為にはこうするしかないんじゃ…二人とも淋しいの
 
はわかるがの……納得いったかの?」
 
 
 
 シンラの為だと念を押され、ひとつひとつ理に適った説明をされたので、
 
反論のしようがなかったが、それでも二人の顔を見れば森羅を主塔へ
 
行かさないで済む方法はないかと、めまぐるしく頭を回転させているのが
 
わかった。
 
 
 結局、何もいい案が思い浮かばなかった二人の表情は、暗く、ジールに
 
しては珍しくふてくされたような仏頂面を隠そうともせず、フランは喧嘩
 
を売るかのように国王に眼を飛ばしていたが、国王はまったく意に介さな
 
いばかりか口元がほころび、機嫌がよいのが窺えた。
 
 
一方、セイントの話を黙って聞いていたタリシャンが、意を決した表情で、
 
国王の前に進み出た。
 
 
「国王陛下、どうか、僕をシンラさまのお傍にいさせて下さい。お願いし
 
ます! 従者が駄目なら侍女にだってなります!!どうか、どうか…お、
 
お願い…お願いします、僕をシンラさまの……お願いします……」
 
タリシャンはそう言うと国王の足元に跪き、頭を床に擦り付けた。
 
 
「タリシャン、おまえはシンラが女だと知っておったな?……シンラが話
 
したのか?」
 
「…は、い……」
 
「……それほど、おまえはシンラに信を置かれた訳か……まぁ、いいだろ
 
う、シンラもおまえが傍にいれば、少しは気が安らぐかもしれぬ…」
 
「あ、ありがとうございます!!!」
 
「だが、ひとつだけ言っておく! シンラを愛するのはかまわぬが、何も
 
求めるな!! 見返りを求めるような愛し方をしたら…おまえを…殺す…
 
胆に銘じておけ!!」
 
「はい、僕はギョームですから…そ、そんな大それた望みなど…」
 
「やめろ!! おまえはわたしを愚弄するのか!?シンラにとっては、ギ
 
ョームであろうが、一国の王であろうが大差ないこと……それは、おまえ
 
の方が、よくわかっているはず…わたしの目は節穴ではないぞ!!」
 
「ダーナ、何脅しているんだ、それより侍女やシンラの部屋をどうするか
 
指示を出さないと、俺も主塔に戻ってシンラの警護を手配せんとな!」
 
 
 
国王は、濡れた黒炭のような瞳の奥に酷薄な輝きを(たた)えながら、青
 
褪めた
 
タリシャンを黙って見据えていたが、ふっと口を歪めて笑みを零した。
 
「……侍女はすでに選定を済ませておる、部屋もすでに手配済み……
 
先ほどヴァローズを主塔へ戻らせのは、その為ゆえ……もう用意は整っ
 
ているはず、あとは、シンラを連れて行くだけ…、」
 
そう言って森羅に手を伸ばした国王が、今にも彼女を連れて消えてしまう
 
のではないかと心配したセイントは慌てて転移の魔術を使わないよう口
 
を開きかけたが、国王は手を挙げて静止させた。
 
「ああ、セイント、わかっておる、魔法は使うなと言いたいのだろう、わ
 
たしが抱いて歩いて行く、」
 
「そうして下され、儂もあとで参りますゆえ」
 
「わたしも付いて行きます!」
 
「俺も行くから!!」
 
セイントに続いて、ジールとフランが勢いよく叫ぶように言った。
 
 
「無用!!おまえたちの格好を一度見てみるがよい…まるで、魔物の
 
配下に落ちた死霊のようじゃ、特にジール、おまえは…不気味過ぎる…
 
シンラが目を覚ませておまえを見たら…また卒倒するやもしれん、じゃぁ、
 
セイント、わたしはシンラを抱いて主塔へ向かうぞ!おまえは、少し休ん
 
でから転移の術を使って参れ!!」
 
 
国王はそう言うと、森羅をやや小ぶりの新しい上掛けに包み込み、壊れ
 
物を扱うように優しい手つきでそっと抱き上げ、エルロスに顎をしゃくり
 
合図を送ると扉に向かってすたすたと歩き出した。
 
 
最早、引き止める手段はないと判断したフランは咄嗟に国王の後を追い
 
ながら、その背中に向かって声を掛けた。
 
「陛下、いくらシンラが小さいとはいえ、主塔まで抱いて歩くのは大変だ、
 
階段もあるし、俺が、途中で交代するから、やっぱり付いて行く!」
 
すらりとしているが、百九十センチを越す大柄な体躯とその身丈以上の
 
長い脚……鍛え抜かれた上の体力も恐らく自分以上にある国王……
 
その姿を目の前にしながら、それこそ自分の助けなど無用なことは
 
わかっていたが、他に巧い口実が思いつかなかったのだ。
 
 
あくまでも主塔へ付いて行こうとするフランの言葉が、聞こえていない
 
はずはないのに、国王は何も言わなかった。
 
その代わりにエルロスが、反論の口火を切る寸前なのをいち早く察した
 
かのようにフランは、一足先に喋りだした。
 
「いや、エルロスが付いてるから大丈夫なのはわかるけど、念には念を、
 
用心に越したことはないだろう!? ほんと、何かあっても困るし、それ
 
にシンラが途中で目を覚ましたらきっと俺がいた方が安心する! 何と言
 
っても、聖者に関しては神殿の管轄だし、今まで俺たちがシンラの面倒を
 
見てきたんだから、反対されても俺は付いて行くから!! ジール、……
 
あっ、ジールは無理だったな…少し休んどけ!さっ、タリシャンおまえも
 
一緒に行こうぜ!」
 
 
 
ジールは、時に無神経で無遠慮…そんなフランの喰い付いても放そうと
 
しない“しつこさ”に、普段なら眉を顰めたくなるのだが、この時は心強
 
い仲間、頼もしい奴だと感心しながら、フランとタリシャンがシンラの傍
 
らにいれば、国王も無体なことはできないだろうと思った。
 
 
森羅を抱いた国王先頭に、その両横に並ぶエルロスとフラン、そしてタリ
 
シャンが、小走りに後に続く。
 
 
 
―――では、わたしは……今のシンラの為に何ができる?
 
わたしは……どうすればいい?
 
 
一度、冷静に今後のことを考えるべきだという神官長としての立場、一方
 
では片時も森羅の傍を離れたくないという思いがジールの中でせめぎ合
 
っていた。
 
 
―――シンラは、少年ではない…男のわたしに何ができる?
 
少年だと思っていたシンラは………消えた…。
 
替わりに現れたのは、長い髪とやわらかな胸を持った美しい少女……。
 
血を流し蒼褪めた顔さえ鮮烈な色を放っていた。
 
………国王がシンラを娶る……
 
―――急激な展開に自分の心がついていかない。
 
 
結局、その場に足が縫い止められたかのように一歩を踏み出すことが
 
できなかったジールは、まだ森羅が女だという事実を完全には受け止
 
めきれてはいなかったのだ。
 
 


 
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