65.悪霊の実態
 
 
森羅は自分が女だと知られているのも仕方ないと思っていたが、
 
成り行きとはいえ、ついつい実年齢まで明かしてしまったことを、もし
 
隊長が聞いていたなら何て言っただろうかと考えていた。
 
 
君はまったく軽率だ!!と怒っただろうか?
 
それとも、“毒を喰らわば皿までも”…!?
 
……こうなりゃ別にいいぞ、と言ってくれたのだろうか?
 
 
わたしは自分のことでいっぱいいっぱいなのに……ジールのやつ
 
…いい年齢(とし)したおっさんが……、そんなに拗ねなくたって…
 
もー、泣きたいのはこっち方だ!!
 
でも、いろいろ聞きたいこともあるし…ほっとけないか……。
 
 
 
森羅は扉の横にある縦長の鏡の前に行くと、溜息を吐きたいのを我
 
慢して再びジールに声をかけた。
 
「おいっ、ジール!そんな所で拗ねてないでちょっとこっちへ来てみ
 
ろ!」
 
「…………」
 
「早く、ここで見てみろ!」
 
「…………」
 
「……おいっ!……なぁー、ジール、」
 
「…………」
 
 
いつまでたっても動こうとしないジールに痺れを切らした森羅は、更
 
にもう一度声をかけたが、一向に反応が返ってこない。
 
仕方なく、頭を抱え込んだジールの(かたわら)へ行き、床に膝をつけて顔
 
を覗き込もうとしたが、森羅が横に来た気配を察したジールは亀が
 
甲羅の中へ頭を隠すように両腕を組んで、その中に顔を(うず)めてしまっ
 
た。
 
 
 
「ジール、ジールさん! ジールちゃん!! ジールくん!!!」
 
「…………」
 
「…ったく!! お子ちゃまくそ神官、さっさと顔をあげろー! いつま
 
でそうやっていじけてりゃ気が済むんだ!? 何とか言えよ! この
 
へたれー!!」
 
「ほっといて下さい……、」
 
「死んでないなら立てるだろう? 向こうの鏡で、自分の姿を見てみ
 
ろ!」
 
「いやです!!」
 
「なっ!………もー、頑固おやじが……いいから立て!!」
 
「いやですよ、」
 
 
ジールは益々自分の腕に顔を押し付けて頑として譲らない。
 
森羅は呆れ果てた様子でジールを見ていたが、こうも(かたく)なではどう
 
しようもないと諦めの境地で立ち上がると、ジールから一歩下がっ
 
た所で彼を見下ろし再び話しを始めた。
 
 
「はぁー、まったく…じゃぁ、実況してやるからよく聞けよ、こほん、
 
ん、まず、ジールの頭、さらさらの銀髪だったのに今は、ぼろ雑巾
 
だ! 薄汚れて…シルバーブロンドの輝きなんてこれっぽっちも無
 
い! それに(もつ)れて……何だか知らないけど、あっちにもこっちにも
 
黒いものが付着して、特に毛先、…硬い(おもり)…毛玉団子か? いや、
 
団子に悪いな…、黒カビ、いや、そんな繊細な物じゃない、…何だろ
 
う…? あ! 馬糞(ばふん)、臭そうな馬糞の固まりが干からびた感じ…更に
 
言わせてもらうけど、その頭……湿気を含んでそうなったのか? で
 
も、髪、広がり過ぎじゃないか? ……頭、いつもの三倍はあるぞ、
 
とにかくでかいのなんのって……、ゴーゴン、メデューサ?……サイ
 
ババも真っ青!……まだあるぞ、服だ、それって元は白のいつもの
 
神官服だったんだろう?…茶色、赤黒い染み、染みというより模様
 
か? で…顔…顔も…服と同様…………どどめ色って言うヤツか?
 
(まだら)模様の斑点(はんてん)が…まるで伝染病に(かか)ったゾンビのようだ…不気味
 
…恐過ぎる……あと、手、爪の中………不潔!!」
 
 
森羅はジールの手を見て不潔だと顔を背けてしまったので気づかな
 
かったが、いつの間にかジールは甲羅から首を出していて、ものす
 
ごい形相で森羅を睨みつけていた。
 
 
   *** ***
 
 
森羅の言ったことが信じられない反面、ジールは、国王陛下やフ
 
ラン、それに祖父までもが自分の顔をあまり見ようとしなかったこと
 
を思い出し、慌てて寝室横の姿見まで走って行った。
 
 
鏡に映った姿を目にした瞬間、森羅の言うどどめ色の顔に、今は青
 
と赤が加わっり、充血した濃紫の目を皿のように見開いた……自分
 
だと思えない“もの”が、そこに映って居た。
 
言葉を失ったジールは、それ以上鏡を直視していられず、しょんぼり
 
と肩を落としたところに森羅が後ろから声を掛けてきた。
 
 
「なー? わたしの言った通りだろー?」
 
「……はぁ、これではあなたがわたしを化け物、悪霊、怨霊……そう
 
思って怖がったのも仕方ありませんね…確かに…恐ろしい…、」
 
「うん、だから別に悪意があって、ああ言った訳じゃないんだ……」
 
「はい、わたしもあなたにひどいことを言ってすみませんでした…あ
 
の、もうそろそろあなたを送って行かないといけませんが、先に入浴
 
してもよろしいでしょうか?」
 
「あっ、ちょっと待って、少しだけ聞きたいことがあるんだ!」
 
「はい、何でしょうか?」
 
「…わたしの体…どう見えてる?」
 
「は? どうって肉体のことですか?」
 
「そ、そうだ…わたしがさっき言ったみたいに、見たままを描写して
 
みろ!!」
 
「そう言われても……何を言えばいいのか…? えー、髪、髪が長い
 
ようですね……随分と伸びたような……」
 
「あっ、ああこれな…長い髪ってうっとおしいし洗う時も面倒だから嫌
 
いだったんだけど、こんな非常時にはすごく役に立つもんだな! …
 
…で、他には…どう見える?」
 
「顔は……変わってないんじゃないですか? とにかく元気な様子で
 
わたしも安心しました、良かったです……」
 
「もーーー!! もっとちゃんと言えないのか!?」
 
「えっ?」
 
「わたしの体、薄く透けてるだろう?」
 
「………」
 
「肉体がないはずなのに、ぼーっとだけど体が見えてるだろう?」
 
「………」
 
 
ジールは自分の目に見えている森羅の姿をどう言えばいいのか、
 
上手く表現する言葉が思い浮かばず考えあぐねていた。
 
しかし、森羅にしてみれば、ジールの化け物めいた顔からは表情を
 
読み取ることが難しいうえ、自分の問いに何の返答も返さないこと
 
事態が森羅の持つ危惧への肯定の証にも思えて来ていた。
 
 
―――これで大丈夫だと思っていたけど……ジールには見えてい
 
るらしい……、確か、ジールは霊力が強いとか言ってたな…こんな
 
格好のままじゃ隊長を探しにも行けないし……やっぱ聞いてみよ
 
う!!
 
 
 
「ジール! もしかして……、素っ裸で何も着てないのがわかるか?
 
髪、全部前に持って来て(はさ)んでるんだ、大事なとこはちゃんと隠して
 
いるつもりなんだけど……ちゃんと隠れてるよな!?」
 
「……っ!? えー、……」
 
「丸見えじゃないよな?どうして目を凝らしてる!?」
 
 
「はー、な、何と言えばいいのか……わたしが見えているのは眩し
 
い位に白い裸体」
 
「わぁあーーー!!! も、もう言うな! は、はやく何か羽織るもの
 
を持って来い! 駆け足、急げーーーー!! 」
 
 
森羅はジールの言葉を最後まで聞かずに叫び出し、その場にしゃ
 
がみ込んだ。
 
ジールは森羅のあまりの大声と切羽詰った要求に、何が何やら訳も
 
解らず、出窓の棚に畳んで置かれたシーツが見えたので全速力で
 
取りに走った。
 
 
   *** ***
 
 
 ものの数秒ほどで戻って来たジールは、白いシーツを差し出しな
 
がら森羅に声をかけたが、森羅はその場にしゃがみ込んだまま悪
 
態の限りを吐いており、ジールの呼びかけには反応しなかった。
 
 
「……バカ、カバ、見えてるなら見えてると早く言って服でも差し出す
 
のが紳士じゃないのか!? 変態! 覗き魔!! 視姦だ、視姦!
 
……清く美しいわたしの体を…あの陰湿神官に玩ばれた……今晩
 
からは…むっつりスケベの童貞のおかずに…成り下がるんだ……
 
うっ、……隊長……聖職者にあるまじき行為です、…この髪、たぶ
 
んリガロとリガロニアを飲まされたせいで伸びたのでしょうが、いつ
 
までも股に挟んでる訳にもいかないし…隊長……」
 
 
 
森羅にシーツを差し出したまま顔を強張らせて突っ立ていたジール
 
は、あまりの言われように腹が立つやら情けないやら……でも、森
 
羅の吐く馬事雑言の数々を聞いている内にはたと気がついたことが
 
あった。
 
 
 ………男女の性差に関係ない…シンラは、シンラなのだ……
 
祖父の言っていたことが今になってようやく胸に沁みこんできた。
 
 
――――『女を隠してはいたが本質はそのままだったと思うぞ、男
 
のふりをしておったというよりも…シンラはしなやかなで強いお心を
 
お持ちの方じゃ…脅されても、踏まれても相手の足の裏に針を突き
 
刺すくらいの………男でないことがわかった後も、あまり変化はな
 
いと思うぞ……………』
 
 
本当にその通りだ………シンラが少女だと聞いてからどう接したら
 
いいのか…不器用な己を呪い、色々悩んで、おまけに自分が用無
 
しだと悲嘆に暮れていた。
 
気が動転していたと言えば聞こえはいいが、実際は、シンラとの関
 
係が壊れるのを恐れていただけ、……シンラを失いたくなかったん
 
だ。
 
なんて愚かな、臆病者の大馬鹿者なんだ!!
 
ジールは森羅に侮辱されているにも関わらず、何故か心はすっきり
 
し、口汚く罵られる度に嬉しくなって顔がどうしても緩んでくるのを止
 
めることができなかった。
 
 
   *** ***
 
 
「おいっ!!持って来たんなら声くらいかけたらどうなんだー!?
 
あんたも国王やフランと同じ、ちんちん頭だったんだな、……厭らし
 
い目つきで人を見るな! ほらっ、さっさと寄こせーーー!!!」
 
森羅はしゃがみ込んだままそう言うと、左手を差し出し振ってみせ
 
た。
 
ジールは怒りもせず、にこにこしながら森羅の手にシーツを手渡し
 
たが、森羅はそれを受け取ることができなかった。
 
 
 
床に落ちたシーツを見てぎょっとなった森羅をよそにジールの方は、
 
納得したかのように首を縦に頷いている。
 
「やはり無理でしたね、」
 
「どういう意味だ?」
 
「シンラ、あなたは霊体だから物には(さわ)れないのです。」
 
「やっぱりわたしは死んでるんだな……、」
 
「言っときますけど、シンラ、わたしと同じくあなたも、死んでません
 
よ!」
 
「えっ、う、嘘だ!!」
 
「ほんとです!! でもあと一歩遅かったらあなたの言う通りになっ
 
ていたかもしれませんが…、祖父のセイント、陛下、それからフラン
 
やエルロス、ヴァローズは外して、えーっと、タリシャン、みんなであ
 
なたの治療に当たりましたので、もう心配はありません…大丈夫で
 
すから、」
 
「……でも…、わたしの体…ふわふわ浮くし……」
 
「霊体ですから、」
 
「……どういう意味なんだ?霊なのに死んでない? でも、見えるん
 
だろう? 体……が…、」
 
「はい…でも、」
 
「おいっ!! それじゃ困るんだ! 隊長を探しに行けない、なぁ、物
 
()れることもできないんだったら服も着れない……こんな格好で
 
外をうろついたら、それこそわたしは、すっぽんぽんの猥褻罪で、」
 
「シンラ!! ちょっと落ち着いて! わたしの話を最後まで聞いて下
 
さい、あなたの体は全裸なのかもしれませんが、実際は、眩しい位
 
の白い裸体というより光の粒でできた発光体のように見えているん
 
です。 さっきわたしが言おうとしたのはそういうことです。 それにも
 
う一度言いますが、あなたはわたしと同様、死んでませんよ! 一時
 
的に自分の肉体を飛び出した魂だけの存在で肉体的な死を迎えた
 
のではありませんから!」
 
 
ジールの話を聞き終えたあと森羅はまだ半信半疑で、透けたように
 
見える自分の手を見つめながら小さな声で呟いた。
 
「でも…信じられない……わたしは死んだ方がましだと思ったんだ…
 
…なのに……」
 
 


 
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