66.愛の告白と練乳
 
 
 
 ―――『死んだ方がましだ……』
 
 
――――――『……隊長を探しに行けない……』
 
 
そう言った森羅の顔はどこか弱々しく頼りなげだった。
 
 
 ジールは森羅を食い入るように見つめながら今聞いた言葉が信じら
 
れずに、自分の耳を疑った。
 
 
 
何故だ!? ……死んだ方がまし……どうしてそんなことを…?
 
それに、…………誰だ!? 探しに行く? エルロスを? いや、彼はずっ
 
と陛下に就いているから違うはず……果たしてそう言い切れるのか?
 
 
それとも別に……騎士団の中にいる他の奴なのか? でも、隊長なん
 
て呼ばれているのは……エルロス以外にわたしは知らない。
 
いつの間に親しくなった?!
 
わたしの知らない所で…エルロスと……
 
このことを陛下はご存知なのか?…
 
 
 
 ジールは森羅の話しを聞いて、彼女が絶望感を抱くほど思いを寄せ
 
ている人物がエルロスに違いないと考えていたのだが、森羅を悲しま
 
せ傷つけたこと、そして何よりも自分の知らないうちに彼女の心を盗
 
んだことで彼への怒りと凶暴な嫉妬が渦巻き、荒れ狂うような心を御
 
しかねていたが、ふと、気づいたのは、一度もシンラからは弱音や泣
 
き言のひとつも聞いたことがないと言うことだった。
 
 
 
 ……思い浮かぶのは頬に笑窪を浮かべたいたずらっ子のような顔…
 
…鉄をも溶かすような強さを持ち合わせた豪胆な姿……高飛車な物言
 
いで人をやり込めたり、指図したり、……いつも強気で……だからと
 
言ってシンラ嫌ったり、疎んだりする気持ちは全く起きなかった。
 
 
無邪気な笑顔を見せられる度に、腹を立てていても自分の方が折れ、
 
何もかも許してしまいたくなるほど……
 
…時には無表情で何を考えているのかわからない、侵し難い不可識な
 
空気に包まれることもあったが、それでも彼女からは寂寥感や陰鬱な
 
影は微塵も感じられなかった。
 
 
だから…わたしやフランに対しての開けっ広げで愛想の欠片もないよ
 
うな言動も、気兼ねや遠慮のない……少しは自分たちに心を許してく
 
れている気安さだと思っていた。
 
 
そんなシンラだから……国王のことで責めたことも、シンラなら……
 
わかってくれるものだと思っていた……でも……違ったのか!?
 
それでエルロスに救いを求めたのか?
 
 
『死んだ方がましだ』と言わせたのは……自分の不用意な一言……。
 
 
 結局、森羅を追い詰めた原因が自分にあると考え着いたジールは、
 
森羅の前に行き必死で訴えた。
 
 
「シンラ!! わたしはあなたにそれほどひどいことを……死んだ方
 
がましだなんて……どうかそんなこと言わないで下さい! わたしが
 
無神経でした…この通り………本当にすみませんでした……どうか
 
許して下さい………アイム・ソーリー・ヒゲソリー、あなたを失うなんて
 
…わ、わた、わたしは…わたしには耐えられません!!あなたを愛し
 
てるんです!あゎわ……」
 
 
 
 ジールは森羅の許しを乞おうと謝罪の言葉を告げるはずだったが、
 
無意識に口走ってしまった自分の余計な一言に愕然とし、汚れていな
 
い耳をピンクに染めて固まってしまっていた。
 
 
 一方、ジールの言葉を聞いた瞬間、森羅は目を何度もぱちぱちさせ、
 
その意味を頭の中で噛み砕いて行った。
 
 
   *** ***
 
 
「なぁ、ジール、今のはもしかして愛の告白か?……わたしが女で二十
 
歳だと知った途端、態度を変えるなんて、……前は、くそ坊主を見るよ
 
うな目つきでわたしを見ていたくせに!!……所でちょっと聞くけど、
 
わたしの骨折箇所を治療したとか言ったよな?……胸、見たんだろう?
 
……もしかして……触った?……………もしかして舐めたとか?!」
 
「め、めっそうもない!! な、何を言うんですか!? 折れた骨が皮膚
 
の方向へ出ていたのを押し戻す為に…触りましたが…いえ、触ったのは
 
胸の下で、いやっ、間違って胸に手を置いてしまいました…でも、あな
 
たが臭わせたような変な意味は全く無くありません! 治療の為に仕方な
 
くしたことです!! だから、そのことについては謝りませんから!!」
 
「ふーん……仕方なく、な!……そうか…でも結局はわたしの美乳に目
 
(くら)んだんだろう?“小さくても小粒でぴりりと甘い!イチゴミルクの練乳(れんにゅう)
 
だもんな!……そんなジールの気持ちもわからないでもないけど…でもな、
 
それでわたしを騙せると思った、猿知恵、浅知恵、書生論 ……それが、
 
そもそも大間違いの…(そう)は問屋が卸さねえぞ!の犬畜生だ!」
 
「犬畜生!?…な、何てことを……、」
 
 
どどめ色のジールの顔色が変ったことにも気づかず、森羅は鼻を鳴らして
 
先を続けた。
 
 
「ふん!……なぁ、ジール、よく聞けよ、巨乳でも貧乳でも母乳でも牛乳
 
でもない、涎が垂れるほど美味しい美味しい“練乳(れんにゅう)”を見て、あんたが、
 
たまらず、頂きたいと思ったのは頷けるし、そこまではとやかく言わない、
 
でもな、わざわざ愛してるなんて告げて……馬鹿、間抜け、いや、大馬鹿、
 
大間抜けとしか言いようがない! これだから嫌なんだよ、チェリーボーイ
 
は!!……あっ、ボーイって年齢でもないか? 何だ?、意味がわからない
 
って顔だな、はぁ、世話のやけるチェリー親父だな…、…講師料の報酬を
 
払って欲しいよな…まったく!……じゃ、説明してやるから有難く思えよ!
 
ジール、チェリーボーイは女性経験のない少年を言うんだ! でもジールは
 
男の子って年齢じゃないから、ボーイの代わりに親父って、言ったんだ!
 
それからその様子じゃ自分の犯した罪…罪は重過ぎか?……訂正!自分の
 
犯した過ちについても十分に理解できてないようだから説明してやる!!
 
……なぁ、わたしって、なんて親切で優しいんだろう……な? …無視か?
 
じゃ、本題!己の性欲、自分の餓えを満たす為に全く以って見え透いた嘘
 
を吐いた……愛を囁いて上手く誘惑したつもりかもしれないけど、空気を
 
読め!! 空気を! 愛の言葉は相手を見てから言わないと肘鉄位じゃ済ま
 
ないぞ! ジール、神官長として尊敬を集めてるんじゃないのか?そんなこ
 
とじゃ嘘つき神官として地位も名誉も失ってしまうぞ! それと女性への接
 
し方をよく学べ!!この場合、ストレートに即ち直接的表現で『君を抱きた
 
い!やりたい!!』と言った方がまだ好感が持てる。それに冗談にするにし
 
ても、くそ面白くも何とも無い!!笑えない!!!……以上、あっ、補足!
 
ジール、練乳って言うのはな、イチゴにかける甘いミルクのことを言うんだ!
 
それでイチゴってのは赤くて瑞々しい宝石のような小さくて可愛い果物のこ
 
とだ! 以上の以上、これで……おしまい!!……はぁー、疲れた…」
 
 
 
 ―――シンラを傷つけたことをもう一度ちゃんと謝り、許しを請うことしか
 
考えていなかったはずなのに……愛してると口走ってしまった。
 
でも何って言い草だ?……チェリー親父………誘惑、欲望……
 
彼女の話しを聞いていると洗脳されて……頭がおかしくなりそうだ。
 
 
………もし、森羅が霊体でなかったら小憎らしいあの唇を自分の口づけで
 
封じ…そして……怯えの浮かぶ瞳の中に自分の姿が映るのを愉悦しながら
 
床に押し倒し……無理にでも男の本性を見せ付ける……………駄目だ!!
 
 
 
 ジールは己の歪んだ欲望に囚われかけている自分を制しながら、熱くなっ
 
た高ぶりを鎮めようと森羅の傍から距離を置き、立ち上がってから抑揚を
 
抑えた声で言った。
 
 
「シンラ、あなたの胸の話が何を意味するのかわかりました、わたしに言
 
えるのは、あなたは何も気に病む必要がないということ…そんなささやか
 
な胸であろうとも、あなたのすべてが愛しい…たとえわたしの想いに応え
 
てくれなくても…それだけは覚えておいて下さい……では、わたしは浴室
 
へ行きますのであなたはここで待っていて下さい、どこへも行っては駄目
 
ですよ、」
 
 
 森羅は、自分の話を聞いてもまだ嘘をつき通すジールにムッとしていた
 
が、隊長がいない今、何もかも自分ひとりで考え決断しなければならない
 
ことに不安と苛立ちを感じていた。
 
 
 
 ―――隊長が居たなら……、
 
 
 隊長! ジールの奴、素直に欲情したことを認めようとしないんですよ、
 
……おまけに女の胸なんて母親の母乳しか見たことないくせに……、
 
わたしの美乳をささやかな胸だとぬかしやがった!!
 
練乳の良さは舐めてみないとわからないのに……ねぇ、隊長ーー!!!
 
 
 
 フランほど素直ではない森羅は、ささやかな胸を練乳だと()げ替え、
 
浴室へ向かうジールの背中目掛けて悔し紛れの言葉をぶちまけた。
 
 
「わたしは自分の胸が気に入っているんだ! なのに誰が気に病む?
 
でっかいホルスタインが好きなら、あんたが牛乳でもリガロでも飲んで、
 
自分の乳でも揉んでろ!!それからこれは一つ貸しだからな! 練乳の
 
拝観料とお触りのダブルで……そうだな…、三回! 三回、わたしの言う
 
ことを何でも聞くことで、この貸しはチャラにしてやる…三回だぞ!!
 
だから、今は怒らない……一応、許しておいてやる…、ジール、ありが
 
とうは?」
 
「は?」
 
「わたしの寛大な心に感謝の気持ちを表すなら、当然、『ありがとうー!』
 
だろう?」
 
「まったく、あなたって人は!……よく聞いて下さい!どうしていつも話し
 
が逸れるというか非常識で意味も解らない展開というのか、下世話な話題に
 
移って行くんですか!? 」
 
「そうかっかとするなよ、抜け毛がひどくなるぞ!!」
 
「……シンラ、話を逸らさないで下さい! それに、ふざけたり茶化したり
 
して誤魔化すのもやめて下さい! あなたが生きる気力を失い実際に命を失
 
う寸前まで行ったのは、事実なんですから!! それから…わたしに偽らな
 
いで下さい、あなたの力になりたいのです………」
 
 
 森羅はジールの言い方がどことなく隊長に似ていると思い一瞬、胸が詰
 
まって、すぐには言葉を返せなかった。
 
 
 
 ―――隊長を見つける為には何だってやろうと思っていた……
 
でも、隊長の存在を理解してもらうのは難しいかもしれない。
 
 
 ジールの温かい申し出は嬉しかったが、どう言っていいか分からな
 
かった森羅は、しばらく沈黙した後、自分の意図とは違う言葉を吐いてし
 
まった。
 
 
 
「でも、ジールとは関係ないんだ!!……これは、わたし一人の心の
 
問題なんだ……」
 
「シンラ、関係ないなどと言わないで下さい……あなたの全てがわたし
 
にとっては重要なんです……後でゆっくり聞こうと思っていましたが、
 
またあなたは逃げようとするかもしれませんね……さぁ、話して下さい!
 
お願いします……」
 
 
 ジールは森羅に優しく懇願したが、その胸中では、関係ないと言われ
 
たことが、自分の全てを拒絶されたようで、切なさと痛みを感じていた。
 
 
 森羅の方は、ジールに優しく請われたことで心が揺さぶられたのか、瞳
 
には迷いが浮かび、そのまま虚空を見つめ苦しそうに顔を歪ませていた。
 
 


 
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